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信長の野望と小説(4) [歴史小説とゲーム]

人生とは孤独であることだ。誰も他の人を知らない。みんなひとりぼっちだ。自分ひとりで歩かねばならない。(ドイツの小説家 ヘルマン・ヘッセの言葉)

いうまでもなく人間は社会的な存在ですが、それゆえに、だからこそ孤独な生き物です。
歴史小説の中には、その孤独を見事に切り取った名作があります。
今回、紹介する小説「宇喜多直家 秀吉が恐れた稀代の謀将(著:黒部亨」の主人公は、戦国時代を代表する梟雄の宇喜多直家です。
宇喜多氏は祖父の時代に浦上氏の中で主家を凌ぐような威勢を示しましたが、主の浦上氏や同僚に嫉まれ、城は奪われ、病床だった祖父は殺され、父は牛飼にまで没落し、惨めな最期を遂げました。
紆余曲折を経て直家は浦上氏に戻り、長い時間をかけ力を蓄えていきます。その過程で舅、娘婿を謀殺し、仇を討つことに成功します。そして遂には主家の浦上氏を追放しました。

そのようなドラマチックな人生もさながら、注目したいのは物語の後半の述懐です。
彼は、幼馴染の側室には去られ、正妻には自殺され、閑散とした生活を送っていましたが、ある時、妖艶な後家のお福(後の豊臣秀吉の側室)に出会い、魅了されます。
その中で、彼女に惑わされて、結束を誇っていた家臣団や(異腹)弟たちとの間に溝が生じます。
ただ、これは小説の中で小竜というキーパーソンも言っているのですが、元々の彼の孤独が溢れ出たものにしか思えないのです。
お福はあくまで彼の仮面の一つでしかないと著者が示しているように感じるのです。
弟達は、自分に比べて父母に愛されていた。家臣はいつ自分と同じように裏切るかもしれないだから、疎ましい。だから、お福を利用して排除した。
彼の「お福とて根無し草じゃでの。親戚も頼みの家臣もない。連れ子をかかえて、さきざきのことをおもうと、夜もおちおち眠れぬのじゃろう」という発言をした後に、小竜からの報告書を焼き捨てたことがその証左です。

◇閑話として
史実では、お福と嫡男の八郎(後の宇喜多秀家)を病床で、稀代の人たらしの秀吉に託して亡くなるのです。秀家は秀吉の幼女の豪姫(前田利家の娘)と結婚を許され、豊臣一族として遇されます。そこでは、彼の先見が生きたといえるのでしょう。
ただし、晩年の秀吉の実子の秀頼かわいさのあまりの、甥たちへの惨い仕打ちが、関ヶ原の敗北、豊臣氏の滅亡につながったことを考えれば秀吉も孤独に(豊臣秀次の一族虐殺、小早川秀秋の理不尽な?所領没収、豊臣秀長家の取りつぶしetc・・・)
そして、最後には「秀頼を頼み申し候」と涙ながらに家康に頼みながら、役にも立たない誓紙を部下に書いてもらい、惨めに死んで行くのです。
結局、戦国一の人たらしの秀吉も孤独からは逃れられず死んで行くのです。そこに、歴史の精妙な皮肉を感じるのは私だけでしょうか?








タグ:信長の野望
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