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信長の野望と小説(5) [歴史小説とゲーム]

個人的に宇喜多直家はとても興味深い武将なので、2つほどエピソードを紹介します。
1.日本で初めて鉄砲で暗殺を行った武将
備中国において一大勢力となった三村氏に対し、正攻法での衝突は避けたい宇喜多直家から、永禄9年(1566年)に三村家親暗殺の密命を受けて実行し、弟・俊通とともに見事成功させた。
遠藤兄弟は火縄銃の扱いに長けていた上、備中成羽時代に三村家親の顔を見知っていたため刺客として選ばれた。ところが、遠藤兄弟自身は容易に成功するとは思っておらず、
遠藤兄弟からの「失敗した折には生きて帰れぬであろうから、残された家族を宜しくお願いしたい」旨の申し出を直家が快諾したと逸話がある。
暗殺は美作攻略のため当地に進出していた三村一族が軍議を開いていた夜の興善寺にて実行された。
首尾よく陣中に忍び込み狙いを定めて発砲し三村家親に命中、暗殺成功実施した。
なお、これは杉谷善住坊が元亀元年(1570年)に織田信長を火縄銃により暗殺をしようと企んだ事例より4年早い事例である。
これを賞し、直家は兄に千石と浮田の苗字を与え、弟には三百石と修理(官位私称でしょうがそれでも大変な名誉)の名乗りを許している。
いぶかる老臣に対し、黒部亨氏の小説では「これを大功といわずしてなんというか。万敵を捨てて敵の首将を倒す。これぞ『万捨一用の策』というものじゃ」とほめたたえている。

戦争って何か、英雄って何かってしみじみ考えられます。肉弾特攻、一億総玉砕を唱える旧日本軍の将帥を嗤う直家の声が聞こえそうです。

2.死ぬ間際にはやはり孤独に負けてしまった!?
肥前国平戸藩の藩士の熊沢淡庵著には、こんなエピソードが直家に関するこんな興味深いものがあります。
宇喜多直家が病にたおれ、余命いくばくもなくなったころ、直家は病床から家臣どもを呼んでこう尋ねた。
「お前たち殉死してくれないか」と。
こう尋ねられたら、家臣は主人の言動を知っているので、こぞって「願わくはあの世までお供致しとうございます。」と、皆答えました。
直家は大いに喜び、約束の証じゃ、と、いって皆に盃を与えて名前を札に書き、「死んだらこの札を棺の中に入れてくれ。」と近臣に頼みました。
そこで、戸川という家老に同様に尋ねたところ、
「人には得手不得手というものがあります。私は若年のころから戦に臨んで敵の堅陣をいくども破りました。合戦では誰にも負けぬ自負があります。
これはそれがしの得手とすること。一方、殉死は、不得意で苦手です。
殿がもし殉死の者を求めるのであれば、思うに日ごろ帰依してらっしゃる法華宗の坊主がいいのでは。
坊主が引導を渡せば成仏すると言いますので、成仏間違いござりません。我ら家臣は命を的に戦っても、殿からの尊敬や褒美は坊主より著しくいただいておりません。
殿から受ける恩の大きさから言っても、坊主どもこそまず殉死するのが筋というものです。」
直家もさすがにバツが悪くなったのか、「俺が間違っていた。お前が正しいわ」と、その後は殉死のことを言わなくなったという。

やはり稀代の梟雄も死ぬ間際には、孤独に勝てなかったようです。私はこんな人間臭いところにも魅力を感じるのです。
(殉死を禁じたほうが有力な家臣を残せて、愛息子の宇喜多秀家の利益になることも重々分かっているのにも関わらず聞いてしまうあたり)

信長の野望大志では、直家はどのように描かれるのでしょうか?









タグ:宇喜多直家
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