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劉邦と宮城谷昌光の距離感について [歴史小説]

昨日のBlogで書かせていただいた通り正月休みを利用して、『劉邦 著:宮城谷昌光』を読んでおりました。
単行本では上・中・下に分かれており、1冊あたり約500~600頁という文章量ですが、宮城谷氏の筆致にリズム感があり、読んでいて、行き詰まるという感覚がなくスラスラ読めて、読後感も良好です。
その中で、いくつか感じたことがありました。(特に、後書きが印象的でした。)

1.全体を通して劉邦が漢王となる前にウェイトがおかれている。
中巻の3分の2程度までが劉邦の陣営が中華の大勢力としてなる前の組織構築の段階にウェイトが置かれていること。
これは、他の楚漢戦争を主題にした作品でも劉邦と項羽の対決に力点が置かれていることが多いので珍しいです。この時代を取り扱った作品のなかで最も著名であろう『項羽と劉邦 著:司馬遼太郎』でも両英雄の対決にページが多くさかれています。

2.項羽を打倒した後の劉邦の動向にあまり触れていない。
文章量でいうと、下巻の中で1ページに満たない量で、全然書いていないといっても差し支えないかと思います(笑)

3.韓信に対する評価が悪い
国士無双の語源となった韓信について、戦術のみでしか考えられず戦略的視野が狭い。貪欲で粗雑など等、評価が散々です。
これについては、私としては反論したい気持ちがムクムクあります。
そもそも儒教的倫理観を当時に持ち込むのは無理がある上に、項羽と直接対決せずに、周囲から包囲するように占領地を
増やしてゆく、趙国を亡ぼした際に敵国の軍師の意見を重んじ、外交と内政に力を尽くした彼に戦略的視野がなかったというのは酷では!?

◇まとめ
劉邦の後書きで宮城谷氏も記載されておりましたが、劉邦は楚漢戦争後の粛正や、斉を同盟後に騙し討ちにして占領したため偉材である田横(斉に項羽を釘付けにし、ゲリラ戦を繰り広げ多大な消耗を強いた。劉邦が最終的に勝利する遠因を作った)
を用いることがきなかった、楚漢戦争が長引き、項羽に正面対決で勝利できないとなると天下を二分することで盟約を結んだにも関わらず、東の楚国に撤兵してゆく項羽を追撃する形で垓下に追い詰めたことなどを挙げ、
詐術が多く、最終的に人を疑う自ら孤独な皇帝になったと評し、「どうも書く気にならなかった」と述べられておりました。
しかし、三国志を描くなかで、晩年に司馬懿が政敵を騙し討ちした際に、罵られた際に「これは国家にとっての大義ある行いである」という台詞が端緒になり、改めて劉邦を描く気になったと書かれていました。

宮城谷氏の特徴として、主役にあたる人物に清廉さを求める傾向があり、終盤以降の楚漢戦争をあまり書きたくなかったことがアリアリと感じられました。
やはり、歴史小説家にも描写が弱くなる部分や書きたくない部分があるんだなぁと改めて実感しました。
個人的な要望としては、中国史を描くには明の太祖の朱元璋や唐の李世民のように、清濁併せのむタイプの人物の物語を避けて通れないので、宮城谷先生には人物の”獨(≒悪)”について、より描いてほしいと希望します。




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