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信長の野望と小説(14) [歴史小説とゲーム]

伊達の”先陣”に「勇」の伊達成実あり。
ちなみに、伊達家の「智」は片倉小十郎景綱、伊達家の「治」は鬼庭(茂庭)綱元が担っており、俗に伊達の三傑と言われます。
「伊達成実 秀吉、家康、景勝が欲した奥羽の猛将 著 近衛龍春」では、「勇」の伊達成実を主人公として伊達家がいかに戦国時代を生き残ったかを描いています。
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◇1.”先陣”の条件とは
先陣の条件とは、何でしょうか?僕が思うに以下の3条件を最低でも満たしている武将ではないかと思います。
(1)忠義に厚いこと 先陣は勲功を立てることも可能ですが、当たり前ですが戦死率が他の舞台に比して格段に高いからです。忠義に厚くなければとても務まりません。
(2)勇猛であること 例えば、中国の「孫子」等には、軍隊に最も必要なものは、”勢”であると述べられています。分かりやすく言うと、攻撃力あるいはムードメーカー。
(3)臨機応変に対応できること 大体の場合、大将は中央にいるものであるので、どうしても前線との情報差が生じます。臨機応変に変わる現場に、ただの指示待ちは務まりません。また、芦名氏をはじめ敵大名家の有力家臣を調略していることも見過ごせません。

伊達成実は、まさに3条件を満たした代表格でしょう。
(1)でいえば伊達家一門の筆頭格の家柄であり、かつ主君の政宗と子供時代にともに虎哉宗乙禅師の薫陶を得ています。絆は固し。
(2)天流という薙刀の一派の免許皆伝という個人的な武勇に加え、右手が火傷により指が癒着しているというハンデを克己して戦場に立ち続ける心。
(3)たとえば、人取橋の戦いでは殿をつとめ、全軍の壊滅を防ぎ、摺上原の戦いでは、側面攻撃を行い序盤の劣勢を覆す。
他の大名家でいえば、徳川の酒井忠次(後に井伊直政)、織田の柴田勝家(もしくは佐久間信盛)、島津の島津家久でしょうか。

◇2.伊達政宗が天下を取れなかった原因を見た
東北地方での大小での戦および豊臣秀吉の朝鮮出兵でもいかんなく、その「勇」の成実は名を轟かせていることから、成実の力は確たるものがあり、政宗の指揮も見事です。
ただし、他の伊達家の三傑を含め、政宗は十全に使いこなしたとは言えないでしょう。
その証左に片倉小十郎景綱を除く、「勇」の伊達成実と「治」の鬼庭(茂庭)綱元が政宗の猜疑・配慮不足が原因で一度出奔しているからです。
後に、両名とも関ヶ原の戦いの前後に帰参していますが・・・
家康、秀吉あるいは短気で有名の信長ですら、勢力が十分に固まっていないうちには、このようなことがなかったことを考えると、このあたりが政宗が天下をとれなかった原因ではないでしょうか?
しかし、帰参しているところを見ると、政宗には何とも言えない魅力があったとも言えますね。(多分、徳ではなく愛嬌の類いでしょうが・・・)

◇3.本書を読んでみての感想
本書で、残念だったのは成実が出奔したのちに、伊達成実の家臣団の一部が殺された「角田征伐」取り上げ方が2ページほどしかなく、内容が薄かったことが挙げられます。
歴史好きとしては名将同士の近親憎悪をもっと描いてほしかった。(黒い部分もないと人物描写に厚みが持てない)
著者は、他に生涯の盟友の片倉小十郎景綱やライバルの佐竹義重・義宣の著作も書いているのでそちらもお勧めしたいです。同一の出来事(例.人取橋の戦)でも主人公が変わると、解釈・描写が異なってくるので、併読すると面白いです。











◇4.信長の野望での伊達の三傑の能力は(信長の野望-創造-より)
伊達成実 統率:84 武勇:91 知略:68 政治:55
片倉小十郎景綱 統率:87 武勇:77 知略:92 政治:86
鬼庭綱元 統率:66 武勇:75 知略:66 政治:69
 雑感としては、綱元の評価が若干低すぎるような気がします。

◇5.結びに
伊達政宗と、伊達成実の辞世の句を紹介したいと思います。両者の人生観が見れて面白いです。
 伊達政宗の辞世の句「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」
 伊達成実の辞世の句「いにしえも 稀なる年に 九つの 余るも夢の うちにぞありける」

〇補足 
今後、購入を検討している伊達成実関連本




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タグ:伊達成実
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