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「殿さま狸 著:箕輪 諒」について(1) [歴史小説]

本の題名で思わず買ってしまう本ってありませんか。
経験則からいうと、そんなケースは、我が家のつん読コーナーに直行です。
しかし、この「殿さま狸 著:箕輪 諒」は、良い意味で期待を裏切ってくれました。




吉川元春-堅田兵部vs蜂須賀小六-蜂須賀家政という因縁をクライマックスの関ヶ原に向けて収束してゆく筆力に感嘆しました。

この物語の主人公は伊達政宗に阿波の古狸と呼ばれた蜂須賀家政です。
(正直、本書を読むまで、なぜそんなふうに呼ばれているか全然わかりませんでした)

なんだか、一息に語り尽くせないので、何回かに分けて見どころをご紹介します。

◆見どころ1 父、蜂須賀小六の教えが深い!!
本書の始まりは、秀吉の中国地方平定戦、伯耆の国の羽衣石城を巡る戦さです。
包囲するは、毛利きっての名将、吉川元春。むろん、完璧な包囲です。
信長の名による毛利征伐を行う秀吉は、織田家に味方する羽衣石城の国人侍、南條氏を救わねばならない。
すなわち、戦国社会では「頼りない主君」は最も軽蔑され、見限られるからです。
誰もが、救援策で頭を悩ませる中、黄母衣衆の蜂須賀家政が奇策を申し出る。
そこで、家政は蜂須賀小六以来の川並衆の技能を利用することにより、”幸運”にも成功を収めた。
しかし、父は諭す。
「信じる、ねえ」小六はくっくと低く笑った。「いい言葉だなあ。まったく、この世にこれほど好かれる言葉もないだろうよ。だからこそ、だれも彼もがこぞって言い訳に使いたがる。」 「そうじゃねえか。お前は信じるということを言い訳にして、それ以上はなにもしなかった。 将たるものは極限まで考え、案じ、手を尽くし続けなけらばならないというのに、その責を途中で放り投げた。信じるなんてのはな、人の上に立つ者が使うべき言葉じゃねえ。俺たちの仕事はは、信じるのではなく信じられることだ」

コメント:そこには甘えた感傷も、忠孝もない。あるのは、人為によるリアリズムのみ。自分に対する義務感と信頼だけ。これは、現代社会の仕事にもつながる言葉。結局、仕事って張りつめて、考えて、動いてからが勝負。
余談になりますが、何代か前の某国の総理で、米国の大統領に空手形で「Trust me(私を信じてください)」って、仰った善人さまがいましたっけ。小六の爪の垢でも煎じましょうか?

今宵はここまで。
タグ:殿さま狸
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