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「女性専用の街」騒動は他人事で済まないかもしれない。 [批評]

最近、インターネット上で、とある「女性専用の街」に関する話題で盛り上がっています。
こころに引っかかって自分自身の考え方を整理するために簡単に意見・思考をまとめてみました。

◆「女性専用の街」騒動の概要をざっくりとまとめたもの
発端は、とあるユーザーがtwitter上で
「女性専用の街があったら夜の9時でも買い物に行ける。深夜早朝勤務もできる。なにより、ボーッとしながら散歩ができる。気を引き締めなくていいんだ、後ろ気にしなくていいんだよ、足音、自転車の車輪の音、バイクの音に振り返らなくていいんだよ。幸せすぎて涙出るね…。RT」
という発言をしたことに発します。(現在は非公開アカウント)
この発言を受けて、擁護派、非擁護派に分かれて発言がされています。
1.擁護派
「女性専用で安心する女性がいるのは事実なんだよね。だから女性限定アパートとかあるわけで」
「女性専用の街か 面白そうだな 社会実験として是非やって欲しい どんな感じになるのか気になる」
「これは住んでみたい…。用事があるときだけ外の世界(男女混合)へ行くとか超気楽そう…。 」

2.非擁護派
「労働人口が足りないし、少子高齢化が加速しますね」
「性犯罪率の低いこの国で、そんなにストレスを感じているとは大変ですね」
「変態にとっては女性しか居ない無防備な街なわけだ」

3.どちらでもない派
「女性の発言の意図を理解していない男性と 男性の尊厳を理解していない女性の闘い なんて醜いんだろうね」
「日本死ね」にも通じる話。あー怪獣になって暴れてーレベルの妄想に対して、
それだけ追いつめられている事は無視されてお前はそんなに街を破壊して人を殺したいのかと説教されてるような感じ」

◆今の日本人の非匿名時の発言には非寛容さが現れている?
日本人は比較的識字率が高くなった江戸期にもそれぞれ個々人の気持ちを狂歌・落首などで表してきました。
代表的なものは、
松平定信の政治を批判した「白河の清きに魚も 住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」でしょうか。
これも発言主が特定されず、正面から松平定信を批判したものではありません。しかし、教科書にも掲載されるほど当時の
江戸市民の心映えを代弁したものだったのでしょう。

これが現在の日本のSNSで発信された発言だったらどうでしょうか?
上記の「幼稚園落ちた日本死ね」騒動の時にも非擁護派の意見に、「ワガママ」、「理解を求める人の言葉遣いではない」etc等の
発言がありました。

これを上記の「白河の・・・」に置き換えると、「汚職肯定」、「甘い汁をあなたも吸っていたんだろう」等の発言が飛び交うでしょう。
どうも、日本では非匿名時に発言する時に、「誰かに見られている」とか「客観的にみたらどう思われるだろう」等の視点が欠如して
と思われてなりません。日本人の性質を考えると、SNSを使う時に、顕名方式にした場合に発言内容がどう推移するか興味深いです。
より過激な発言が続くのでしょうか?当たり障りのないものになるのでしょうか?


◆社会構造の変化に戸惑っている人が多いのでは?
突き詰めて考えてゆくと、「ベビーカーを通勤時に乗せるのは常識的ではないという議論」等にも関係しますが、
超少子高齢化社会到来による「慢性的な労働力の逆ピラミット」、地方分権の不徹底による「人口の都市部への一極集中」、
他にも国際化による「成果競争主義の蔓延による価値観変換の過渡」等が根底にあるのではないのでしょうか?
なぜなら、女性だけの街を「東日本大震災(福島)からの避難者だけの街」や「性的マイノリティだけの街」に置換したとしても議論が成立するからです。

俯瞰して考えてみると、疲労し、戸惑い寛容性を失っている人が何て多いのだろうか(自分自身も含め)と愕然とさせられます。
一昔前にあったドラマの台詞「心にダムはあるのかい!?」というワードがなぜか心に染みます。
他者や少数派に優しい社会、他者の異見を意見として聞ける社会はどうすれば構築できるのか重い課題が残っています。


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