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平昌冬季オリンピックは幸せを呼ぶのか?不幸を呼ぶのか? [批評]

 平昌冬季オリンピックでは、羽生結弦選手が金メダルオリンピックを取り幸せなムードに包まれています。
 また同時に、北朝鮮の金正恩氏の妹・金与正氏が韓国の文在寅大統領と会談する様子がトップニュースで報道されています。
 だからこそ、戒めとなる漢詩を紹介します。

哲として愚ならざるは靡し。
庶人の愚なるは、亦た職ら維れ疾なり。
哲人の愚なるは、亦た維れ戻なり。
(『詩経』大雅・抑)
-どんなに聡明な人間も、時には愚かさをまぬがれない。一般人の愚かさは病気のようなもので仕方ないが、聡明な人の愚行は、犯罪的なほどの悪い結果を生む。-

賢哲の人の社会的責任を強調し、自戒を求める。

代表的な例としては、悪逆無道の代名詞と言われる夏の紂王に諫言して刑死した忠臣の比干に対して、同時代の賢人の箕子はこう言い放ちました。
「諫言を受け入れるはずがないのを知りながら諫言するのは愚昧である。一身を犠牲にして主君の暴虐を暴き立てるのは不忠である。愚昧と不忠の2つを押し通すほどの不詳があるであろうか。」

今回の文在寅大統領の南北融和の会談で例えるならば、北朝鮮の軍拡・核武装・非合法活動を知りながら、あえて融和ムードを導き出すことに意味はあるのだろうか?
かえって国際政治の混乱と韓国の保守と革新層の分断を招くものではないでしょうか?

イギリスのチェンバレンの融和策がナチスの台頭する時間を与え、第二次世界大戦の惨禍を招いた過去を忘れてはいけないでしょう。
歴史から我々は何を学ぶべきでしょうか?

追記:羽生選手の金メダルは祝うべき事柄ですが、ニュースは福井の大雪等の天災をパッタリ止めてしまいました。報道の矜持はどこにあるのでしょうか?


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「女性専用の街」騒動は他人事で済まないかもしれない。 [批評]

最近、インターネット上で、とある「女性専用の街」に関する話題で盛り上がっています。
こころに引っかかって自分自身の考え方を整理するために簡単に意見・思考をまとめてみました。

◆「女性専用の街」騒動の概要をざっくりとまとめたもの
発端は、とあるユーザーがtwitter上で
「女性専用の街があったら夜の9時でも買い物に行ける。深夜早朝勤務もできる。なにより、ボーッとしながら散歩ができる。気を引き締めなくていいんだ、後ろ気にしなくていいんだよ、足音、自転車の車輪の音、バイクの音に振り返らなくていいんだよ。幸せすぎて涙出るね…。RT」
という発言をしたことに発します。(現在は非公開アカウント)
この発言を受けて、擁護派、非擁護派に分かれて発言がされています。
1.擁護派
「女性専用で安心する女性がいるのは事実なんだよね。だから女性限定アパートとかあるわけで」
「女性専用の街か 面白そうだな 社会実験として是非やって欲しい どんな感じになるのか気になる」
「これは住んでみたい…。用事があるときだけ外の世界(男女混合)へ行くとか超気楽そう…。 」

2.非擁護派
「労働人口が足りないし、少子高齢化が加速しますね」
「性犯罪率の低いこの国で、そんなにストレスを感じているとは大変ですね」
「変態にとっては女性しか居ない無防備な街なわけだ」

3.どちらでもない派
「女性の発言の意図を理解していない男性と 男性の尊厳を理解していない女性の闘い なんて醜いんだろうね」
「日本死ね」にも通じる話。あー怪獣になって暴れてーレベルの妄想に対して、
それだけ追いつめられている事は無視されてお前はそんなに街を破壊して人を殺したいのかと説教されてるような感じ」

◆今の日本人の非匿名時の発言には非寛容さが現れている?
日本人は比較的識字率が高くなった江戸期にもそれぞれ個々人の気持ちを狂歌・落首などで表してきました。
代表的なものは、
松平定信の政治を批判した「白河の清きに魚も 住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」でしょうか。
これも発言主が特定されず、正面から松平定信を批判したものではありません。しかし、教科書にも掲載されるほど当時の
江戸市民の心映えを代弁したものだったのでしょう。

これが現在の日本のSNSで発信された発言だったらどうでしょうか?
上記の「幼稚園落ちた日本死ね」騒動の時にも非擁護派の意見に、「ワガママ」、「理解を求める人の言葉遣いではない」etc等の
発言がありました。

これを上記の「白河の・・・」に置き換えると、「汚職肯定」、「甘い汁をあなたも吸っていたんだろう」等の発言が飛び交うでしょう。
どうも、日本では非匿名時に発言する時に、「誰かに見られている」とか「客観的にみたらどう思われるだろう」等の視点が欠如して
と思われてなりません。日本人の性質を考えると、SNSを使う時に、顕名方式にした場合に発言内容がどう推移するか興味深いです。
より過激な発言が続くのでしょうか?当たり障りのないものになるのでしょうか?


◆社会構造の変化に戸惑っている人が多いのでは?
突き詰めて考えてゆくと、「ベビーカーを通勤時に乗せるのは常識的ではないという議論」等にも関係しますが、
超少子高齢化社会到来による「慢性的な労働力の逆ピラミット」、地方分権の不徹底による「人口の都市部への一極集中」、
他にも国際化による「成果競争主義の蔓延による価値観変換の過渡」等が根底にあるのではないのでしょうか?
なぜなら、女性だけの街を「東日本大震災(福島)からの避難者だけの街」や「性的マイノリティだけの街」に置換したとしても議論が成立するからです。

俯瞰して考えてみると、疲労し、戸惑い寛容性を失っている人が何て多いのだろうか(自分自身も含め)と愕然とさせられます。
一昔前にあったドラマの台詞「心にダムはあるのかい!?」というワードがなぜか心に染みます。
他者や少数派に優しい社会、他者の異見を意見として聞ける社会はどうすれば構築できるのか重い課題が残っています。


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”災害時BCPの東北の市町村策定率44.1%どまり”というニュースを読んで感じたこと。 [批評]

1月10日の河北新報で東北の市町村の業務継続計画(BCP)が全国水準を大きく下まわったという報道があり関心を持ったので、まとめてみました。

◆BCPってそもそも何?
[業務継続計画(BCP)]大災害など緊急事態に備え優先すべき業務を特定し、執行体制や対応手順、資源確保などを事前に定めた計画。内閣府の市町村向け作成ガイドは(1)首長不在時の代行順位、職員の参集体制(2)本庁舎が使用できない場合の代替庁舎(3)電気や水、食料の確保(4)多様な通信手段の確保(5)重要データのバックアップ(6)非常時優先業務の整理-を「重要6要素」と位置付ける。


◆東北の自治体の現状は?
 東日本大震災で被災した東北の市町村で、災害時の業務継続計画(BCP)の策定率が低迷している。6県で策定済み(2017年6月時点)は100市町村。策定率は44.1%で、全国平均に比べ20.1ポイントも低い。青森、福島は20%台にとどまり、全国最低水準となっている。
 総務省消防庁の調査結果は表の通り。策定率が全国平均を上回ったのは東北では宮城のみ。17年度末までの策定見込みを含めると6県では62.1%に上昇するが、全国を18.7ポイント下回る。大地震に遭った兵庫や鳥取、熊本の100%とは対照的だ。
 震災の巨大津波や東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の42市町村のうち、策定済みは45.2%に当たる19市町村。陸前高田市や宮城県南三陸町は庁舎が全壊して行政機能がまひし、福島第1原発周辺の市町村は住民避難や役場移転を強いられた。
 教訓が次の備えに十分反映されているとは言い難い状況。

◆東北の市町村の災害時BCPの策定率が低いのはなぜ?
 自治体は防災担当職員が慢性的に不足しており、被災地では復旧復興の進展によってその姿が刻々と変化している現状がある。震災から間もなく7年。専門家は早急な策定と定期的な見直し、改善を求める。
 だ。未策定の宮城県女川町は「大枠となる地域防災計画の策定が約2年遅れており、BCPも後ろにずれ込んでいる。BCPの必要性は分かるが、そもそも津波で流された町の大部分を一から造り直しているのが現状だ」(企画課)と歯切れが悪い。
 原発事故に伴う避難指示が一部を除き17年4月解除された福島県富岡町は19年度ごろの策定を目指す。担当者は「避難所となる施設の一部は未復旧。帰町した住民も震災前の人口にはほど遠く、町内の状況を見ながら検討したい」と話す。
 原子力施設が集中する青森県下北半島は、北海道東部沖の海溝型地震による大津波発生が懸念される。六ケ所村原子力対策課は「少ない防災担当職員が原子力対策も担当し、BCPまでなかなか手を掛けていられない」と明かす。
 「『作れ、作れ』とせかされる計画の類いがたくさんあって、少人数の対応ではとてもお手上げというのが市町村の実態」青森県防災危機管理課はこう指摘した上で「大災害の経験が少ないのも遠因かもしれない。」と話した。

◆専門家の意見
◎県の主導が必要
<東北大災害科学国際研究所の丸谷浩明教授(防災社会システム)の話>
 調査結果は、着手した程度を含む数字と捉えた方が実情に近い。「重要6要素」が全てそろわないBCPは根本的に欠陥がある。人事異動や組織改編、災害協定先といった変化に対応するには年1回見直さないと効果は劣化する。
 市町村BCPは首長と幹部がやる気になり、組織全体で取り組まないと前進しない。市町村の災害対応業務は類似しており、一緒に策定し改善する機会を県の主導で継続的に設ける必要がある。「被災地は復興が優先」は先送りの弁解という面が否めない。

◆私の考えること
 先日、米国のハワイ州で弾道ミサイル発射誤報によるパニックという報道がなされました。※
 言うまでもなく、日本は米国の軍事的に依存しています。その米国が不意のパニックに案外弱いという「張子の虎」と疑われる状態を示しました。張り子の虎に依存する日本は大丈夫だろうかという危機感が強まりました。
 なぜだか中国の古典の易経の一節「治に居て乱を忘れず(世の中が良く治まって平和なときでも、常に乱世になったときのことを考えて準備を怠ってはいけないということ。)」というワードが頭を過ぎりました。  東京オリンピックという”パンとサーカス”的な政策に喝さいを叫ぶのではなく、上で紹介した災害時BCP東北の市町村策定率が低いというニュースを見ると、地道な政策こそ今の時代に求められていると感じました。

※2018/01/14 テレ朝Newsより
1月13日ハワイで弾道ミサイルの発射を知らせる警報が人為的なミスにより誤って発信されました。内容は「弾道ミサイルの脅威が迫っている。すぐに避難せよ。これは訓練ではない」というものでした。
北朝鮮による攻撃が現実味を帯びるなかで、街の放送だけでなく、携帯電話や車のラジオにも警報が流れ逃げ、惑う住民や観光客などでハワイは一時、パニック状態になりました。
しかしその後、「警報は誤りだ」とする訂正文が出されたのですが、約40分経ってからだったこともあり、一時、パニック状態になりました。この警報を受けて、アメリカのトランプ大統領はゴルフを中断し、ホワイトハウスから報告を受けました。




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羽生善治竜王への国民栄誉賞の授与決定についての雑感 [批評]

1月5日の閣議において、羽生善治氏及び井山裕太氏に対し国民栄誉賞が授与されることが決定されました。
菅官坊長官の記者会見によると、授与理由は以下の通りということです。
首相官邸HP(1月5日付け)より、原文ママ引用。
「本日(1月5日)、内閣総理大臣は、羽生善治氏及び井山裕太氏に対し、国民栄誉賞を贈り表彰することを決定いたしました。
羽生善治氏は、将棋界を牽引(けんいん)する棋士の第一人者として、平成8年に初めて七冠を同時に制覇するなど、比類なき功績を重ね、将棋界初の永世七冠という歴史に刻まれる偉業を達成されました。
井山裕太氏は囲碁界を牽引する棋士の第一人者として、顕著な功績を重ね続け、年間グランドスラムを含む、囲碁界初の2度の七冠同時制覇という歴史に刻まれる偉業を達成しました。
両氏は、多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えることに顕著な業績がありました。
両氏のこのような業績を讃(たた)え、内閣総理大臣から国民栄誉賞を贈り、表彰することにいたしました。なお、表彰式は2月13日に総理大臣官邸で行う予定であります。」

私は、約20年来の将棋愛好家なので、羽生竜王の国民栄誉賞の授与について、なぜこの時期に授与を同氏が受託されたのかいくつか分析して行きたいと思います。
この分析の意義は同氏が1996年に同氏が将棋界初の七冠独占をした時に、国民栄誉賞の内示を「未だ若輩であるので」辞退したことがあるからです。
(ちなみに、この時は内閣総理大臣顕彰を授与されました。)

1.将棋AIによるトップ棋士の撃破
昨年4月および5月に実施されました電王戦において、佐藤天彦名人が将棋ソフトがPonanza(ポナンザ)に連敗するという出来事がありました。
→これをもって、将棋AIソフトのプロ棋士に対する優勢が確立したと言われます。

2.三浦弘行九段の将棋ソフト不正使用疑惑騒動
三浦弘行九段(第29期竜王戦挑戦者)が、将棋ソフトを使用して対局中にカンニングを行ったのではないかと疑われ、三浦が休場の意向を示したにも関わらず、期限までに休場届を出さなかったことを理由に、直前に迫っていた竜王戦を含む12月31日までの公式戦出場停止となったが、後の第三者委員会の判断では、不正行為に及んでいたと認めるに足りる証拠はないと結論付けられた。
結果として、日本将棋連盟の谷川浩司会長、島朗常務理事(いずれも当時)の2名が辞任。さらにその後、臨時総会で青野照市、中川大輔、片上大輔の解任が可決されるなど、将棋界全体を揺るがす問題となった。
→将棋連盟のガバナンス能力に疑問符がついた出来事です。

3.トップ棋士の若返りとタイトルの分散
1996年は、タイトルホルダーが当時25歳の羽生のみでしたが、
2018年現在は、羽生竜王・棋聖(47歳)のほかに、佐藤名人(29歳)、菅井王位(27歳)、中村王座(29歳)、渡辺棋王(33歳)、久保王将(42歳)とタイトルが分散しています。
→棋界全体のレベルの底上げとトップ層の若返りが見て取れます。

◆私の分析
今回の羽生善治竜王の国民栄誉賞の意味合いは、表文以外にも、羽生が上記1.2の出来事で落ちた将棋界の権威回復と3.で台頭してきたトップ層への激励と威嚇等の意味合いがあるかと思います。
また、年齢と実績を重ねた今なら、国民栄誉賞を受けても”男の嫉妬”から棋士社会から浮いた存在にならないという読みもあるかと思います。
総じて、七冠独占から約22年経過する現在でも将棋界の顔が羽生善治という個性であることが推察できます。


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本当のレガシーって何だろう? [批評]

ある大事件とはいえない事件です。
18日午前、大阪市東淀川区の駅のホームで、目の不自由な89歳の女性が線路に転落し、電車にはねられて死亡したそうです。駅の防犯カメラには、女性がホームから徐々に線路の方向に向かい、転落する様子が映っていたということですが、駅員は監視カメラを見ておらず停止指示が間に合わなかったそうです。

このような駅のホームへの転落事故はよく起きており、有名な事故では埼玉県の蕨市で盲導犬を連れた男性がホームに転落したことが記憶に新しいです。

2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックでは、総額1兆8,000億円とも言われる財政負担が見込まれます。
首都圏の交通網の整備や新国立競技場の会場の新設等のインフラ・ハコものに予算を振りわけるのも結構ですが、オリンピックと”パラリンピック”を併記するのであれば、お金がかかる(1駅8,000万円程度)と言われますが、利用者数の多い駅の順番にでも転落防止柵を整備されることを期待します。
レガシーが社会的な遺産と訳することができるのであれば、これこそ本当のレガシーではないでしょうか?
願わくば、オリンピック委員会の先生方には、次の漢詩を送りたい。
-至論 本 求む 編簡の上、忠言 乃ち在り 里閭の間(宋代の陸游の漢詩より)-

世の中の卓説は学識者の中だけにあるものではなく、誠実な意見は普通の人々の中にあるという意。
世の中がちょっとでも優しいものになりますように願います。






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