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キングダムだけではない!?古代中国史の『余白』の魅力について [中国史(春秋戦国)]

古代中国史は、魅力に溢れています。キーワードは、逆三角形とミステリーでしょうか?

1.逆三角形
東アジアの思想の源流になった儒学の孔子、上善如水とか無用の用とか逆に無用なものにこそ価値があると説いた老子、秦の中国の統一の基盤となる法家思想(国家による法に基づく統治)を説いた
韓非子、果ては風林火山の語源となった著作を示した孫子・・・etc

現代にわたるまで人々の価値観に与えた影響は、多大なものがあります。
これが、紀元前の思想家だから、ビックリです
(口の悪い大学時代の恩師は、中国の思想力は古代をピークに逆三角形だと皮肉ってました)

武田信玄も、西郷隆盛も彼らの思想的には、うーんと遠いお弟子さんです。

2.ミステリー
1.のような状況にもかかわらず、古代中国史にはいくつかの謎があります。
たとえば、「青雲はるかに 著:宮城谷昌光」の范雎と中国随一の名将と今日も名高い白起の関係性。
白起って、キングダムの六代将軍筆頭(しかも不敗)でも有名ですね。
范雎も宮城谷昌光先生は、18世紀のプロイセンのクラウゼヴィッツに匹敵する
と評価しています。(クラウゼヴィッツは、彼の名著『戦争論』で戦争の勝利の定義は、
最終的な係争した土地の保持したものであると説いています。)








では、白起はなぜ范雎に殺されたか?

通常考えると、そんな矛盾は起こりうるはずがありません。
なんせ、名宰相と名将ですから。

一つの仮説として、白起が当時、秦に純軍事的に対抗できた趙を完膚までに長平の戦いで
打ち負かしたので、自分の地位を脅かされることを恐れた范雎が白起を讒言したので、
そこから破滅が始まったという考え方があります。

しかし、自分が推薦した人物が失態を犯したからと潔く引退した范雎がそんな、自己保身の
ために、自国に不利益にすることをするでしょうか?
僕的にはこれだけで、ミステリー小説が一冊書けそうな気がします。

個人的には、白起が長平の戦いで捕虜にした40万人の敵兵を生き埋めのジェノサイド
したことが原因したのではと考えたのでは?と思います。

◇ただの素人の仮説
つまり、そんなに人を殺した土地を、どう考えても占領できないですよね。
戦略的に何してくれとんじゃと半狂乱の范雎が目に浮かびそうです。
また、シーザーやナポレオンが凱旋将軍の栄光の元、政治家(元首)を排斥したのと、同様に
急転して秦を武力的に制圧することも不敗の名将にも可能だと感じた。

なにより、半殺しにされた上で厠に棄てられたような人が、40万人の捕虜をジェノサイド
するような将軍を本能的に許容できるでしょうか?また、この名将は、操縦不能。
僕でも排除したくなるかも。

つまり、こんな素人に想像させる余地の空白が古代中国史にある。
それだけ魅力があるといえるのではないでしょうか?


古代中国史に知りたい方は、守屋洋先生の著作群が読みやすくておススメですよ。







古代中国史やその思想が分かると、三国志や信長の野望が百倍楽しめること太鼓判!!

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共通テーマ:日記・雑感

不意に読み返したくなる本はありませんか? [中国史(春秋戦国)]

みなさんは、不意に読み返したくなる本はありませんか?
僕は、心が少し落ち込み気味な時に、何度も読み返している本があります。
「青雲はるかに 著:宮城谷 昌光」です。







この小説は、遠交近攻という歴史小説によく出てくる故事成語の語源となった秦の宰相范雎が主人公です。彼の半生は、巌窟王も及ばないというほど悲惨なものです。

◇無実の罪で厠(トイレ)へ放り出され小便をかけられるという屈辱。しかし・・・倍返しだ!!
范雎は、春秋戦国時代の魏国の出身でしたが、諸侯の間を遊説し、立身出世を目指しましたが、夢かなわず、故郷の大臣の家臣のそのまた家臣になりました。しかし、できる男だったので外交の場面で活躍します。これが、上司の嫉妬を呼び讒言により、敵国に内通したと無実の罪を被せられ、半殺し(歯を折られ、肋骨粉砕という状態)にされた上で、簀巻きにして厠(トイレ)へと放り出し、客は厠へと来るたびに范雎に小便をかけられていきました。ものすごい屈辱です。
幸運にも彼は、厠の番人に「後で礼をするから」と約束して助け出してもらい、友人に秦の国に逃がしてもらいます。
彼は、秦の国で、王よりも権力を誇っていた王母と叔父から権力を王へ奪還するのに尽力し、秦王の信頼を得ます。ちなみに、この王がキングダムの戦神の異名で有名な昭襄王です。
そして、ついに、領地を貰い応侯と名乗り、宰相に任命されます。同時代に秦には、白起という名将がいますので、ポジション的には股肱の臣とか帷幄の臣という立場です。

詳しくは、ぜひ本書を読んでいただきたいのですが、彼は厠へ放り出された魏国の大臣へ権力を使って
復讐を遂げるのです。しかも、彼は逃がしてくれた厠の番人や秦に逃がしてくれた友人にもしっかり
恩返ししております。そんな彼の態度がどうにも憎めません。


◇青雲の果てに
最後は、抜擢した秦に逃がしてくれた友人が趙国へ戦の途中に秦国へ降伏してしまい、自主的に
引退せざるを得ない状況に追い込まれます。
しかし、超法治国家の秦で連座制で殺されませんでした。(これは、秦を法治国家にした商鞅が主君の交代後に、車裂きで惨殺されていることを考えれば超異例です)
それだけ、彼は昭襄王に親愛されたのでしょう。
信長の野望で言えば、徳川家康と本多正信の関係でしょうか。


◇この小説に惹かれた理由を考えてみる
人生は理不尽の連続です。万年、ルサンチマン溜まりっぱなしです。
しかし、本書は、范雎という人生を通じて、青雲の志とその向かうところに思いをはせられるのです。
多分、みんな多かれ少なかれ空を眺めることがあるかと思います。
それは、空の向こうに憧憬を無意識を求めるからではないでしょうか?
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◇締めにこれだけは!!
日本の戦国時代にも遠交近攻策の事例はあります。
織田信長が上杉謙信と修好して、武田信玄を牽制した事例などが分かりやすいでしょうか。
11月30日発売の「信長の野望 大志」でも外交面がパワーアップしています。
”利害と感情、そして志が交錯する「外交」がテーマ”
他勢力と外交関係を結ぶことは合戦だけでなく内政、特に商業の発展に大きく影響を与える。
諸大名はそれぞれ“志”に基づいた外交方針を持ち、他勢力との交渉に関わる“心証”は、利害と感情の二軸で表現される。利害には、共通の敵がいる、通商協定を結んでいるといった状況が作用し、感情には「親善」コマンドの実行、援軍の派遣などの行動が作用する。他勢力と良好な関係を生むには、その両面を考慮する必要がある。「交渉」では、同盟や金銭・物資のやり取りから、さらには合戦の講和や降伏まで、勢力間のさまざまな取り交わしを行う。心証や国力差に応じて交換条件が変化するなど、交渉の駆け引きも楽しめる。
<信長の野望 大志ホームページ システム「外交」より>











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