SSブログ
歴史小説とゲーム ブログトップ
- | 次の10件

信長の野望と小説(6) [歴史小説とゲーム]

o0400030013014297564.jpg
感性と見極めについて、信長の野望シリーズでお馴染みの斎藤道三と毛利元就について、少し考えてみた。
天を食む者斉藤道三という岩井三四ニ氏の小説を読んでみて、ようやく毛利元就の子どもたちへの「毛利は天下を望んではならない」という言葉を理解できた気がする。
極端に言えば、両武将とも中世的な国人の長であり、効率的な既得権益の仲介者だった。
道三が美濃を制したのは天才とも言える政戦の閃きによるものであった。
しかし、天才は晩年に感性に翳りを生じた。
道三は残された時間に、隣国の稀代の英雄である信長に焦らされ、自ら後継者争いの為の種を蒔き、長男の義龍と争い、民に苦役を掛け、結果今までの支持勢力から梯子を外されてしまい、長良川の戦いで首を失った。
自滅と言えるのかもしれない。
比して、元就はサザエのように中国地方の自分の領国を守り続けた。百万一心と言うスローガンも三本の矢と言われる有名なエピソードも毛利家の限界をひたすらに用心深く見極めた男の自戒の呟きに聞こえるのである。
毛利の国人との誓紙である傘連判状をみるにつけ、両者の才能、基盤にそう違いはないのではと思う。
道三になるか、元就になるか、それはくどい程の自制と見極めができるか否かではないか。












タグ:斎藤道三
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

信長の野望と小説(5) [歴史小説とゲーム]

個人的に宇喜多直家はとても興味深い武将なので、2つほどエピソードを紹介します。
1.日本で初めて鉄砲で暗殺を行った武将
備中国において一大勢力となった三村氏に対し、正攻法での衝突は避けたい宇喜多直家から、永禄9年(1566年)に三村家親暗殺の密命を受けて実行し、弟・俊通とともに見事成功させた。
遠藤兄弟は火縄銃の扱いに長けていた上、備中成羽時代に三村家親の顔を見知っていたため刺客として選ばれた。ところが、遠藤兄弟自身は容易に成功するとは思っておらず、
遠藤兄弟からの「失敗した折には生きて帰れぬであろうから、残された家族を宜しくお願いしたい」旨の申し出を直家が快諾したと逸話がある。
暗殺は美作攻略のため当地に進出していた三村一族が軍議を開いていた夜の興善寺にて実行された。
首尾よく陣中に忍び込み狙いを定めて発砲し三村家親に命中、暗殺成功実施した。
なお、これは杉谷善住坊が元亀元年(1570年)に織田信長を火縄銃により暗殺をしようと企んだ事例より4年早い事例である。
これを賞し、直家は兄に千石と浮田の苗字を与え、弟には三百石と修理(官位私称でしょうがそれでも大変な名誉)の名乗りを許している。
いぶかる老臣に対し、黒部亨氏の小説では「これを大功といわずしてなんというか。万敵を捨てて敵の首将を倒す。これぞ『万捨一用の策』というものじゃ」とほめたたえている。

戦争って何か、英雄って何かってしみじみ考えられます。肉弾特攻、一億総玉砕を唱える旧日本軍の将帥を嗤う直家の声が聞こえそうです。

2.死ぬ間際にはやはり孤独に負けてしまった!?
肥前国平戸藩の藩士の熊沢淡庵著には、こんなエピソードが直家に関するこんな興味深いものがあります。
宇喜多直家が病にたおれ、余命いくばくもなくなったころ、直家は病床から家臣どもを呼んでこう尋ねた。
「お前たち殉死してくれないか」と。
こう尋ねられたら、家臣は主人の言動を知っているので、こぞって「願わくはあの世までお供致しとうございます。」と、皆答えました。
直家は大いに喜び、約束の証じゃ、と、いって皆に盃を与えて名前を札に書き、「死んだらこの札を棺の中に入れてくれ。」と近臣に頼みました。
そこで、戸川という家老に同様に尋ねたところ、
「人には得手不得手というものがあります。私は若年のころから戦に臨んで敵の堅陣をいくども破りました。合戦では誰にも負けぬ自負があります。
これはそれがしの得手とすること。一方、殉死は、不得意で苦手です。
殿がもし殉死の者を求めるのであれば、思うに日ごろ帰依してらっしゃる法華宗の坊主がいいのでは。
坊主が引導を渡せば成仏すると言いますので、成仏間違いござりません。我ら家臣は命を的に戦っても、殿からの尊敬や褒美は坊主より著しくいただいておりません。
殿から受ける恩の大きさから言っても、坊主どもこそまず殉死するのが筋というものです。」
直家もさすがにバツが悪くなったのか、「俺が間違っていた。お前が正しいわ」と、その後は殉死のことを言わなくなったという。

やはり稀代の梟雄も死ぬ間際には、孤独に勝てなかったようです。私はこんな人間臭いところにも魅力を感じるのです。
(殉死を禁じたほうが有力な家臣を残せて、愛息子の宇喜多秀家の利益になることも重々分かっているのにも関わらず聞いてしまうあたり)

信長の野望大志では、直家はどのように描かれるのでしょうか?









タグ:宇喜多直家
nice!(1)  コメント(0) 

信長の野望と小説(4) [歴史小説とゲーム]

人生とは孤独であることだ。誰も他の人を知らない。みんなひとりぼっちだ。自分ひとりで歩かねばならない。(ドイツの小説家 ヘルマン・ヘッセの言葉)

いうまでもなく人間は社会的な存在ですが、それゆえに、だからこそ孤独な生き物です。
歴史小説の中には、その孤独を見事に切り取った名作があります。
今回、紹介する小説「宇喜多直家 秀吉が恐れた稀代の謀将(著:黒部亨」の主人公は、戦国時代を代表する梟雄の宇喜多直家です。
宇喜多氏は祖父の時代に浦上氏の中で主家を凌ぐような威勢を示しましたが、主の浦上氏や同僚に嫉まれ、城は奪われ、病床だった祖父は殺され、父は牛飼にまで没落し、惨めな最期を遂げました。
紆余曲折を経て直家は浦上氏に戻り、長い時間をかけ力を蓄えていきます。その過程で舅、娘婿を謀殺し、仇を討つことに成功します。そして遂には主家の浦上氏を追放しました。

そのようなドラマチックな人生もさながら、注目したいのは物語の後半の述懐です。
彼は、幼馴染の側室には去られ、正妻には自殺され、閑散とした生活を送っていましたが、ある時、妖艶な後家のお福(後の豊臣秀吉の側室)に出会い、魅了されます。
その中で、彼女に惑わされて、結束を誇っていた家臣団や(異腹)弟たちとの間に溝が生じます。
ただ、これは小説の中で小竜というキーパーソンも言っているのですが、元々の彼の孤独が溢れ出たものにしか思えないのです。
お福はあくまで彼の仮面の一つでしかないと著者が示しているように感じるのです。
弟達は、自分に比べて父母に愛されていた。家臣はいつ自分と同じように裏切るかもしれないだから、疎ましい。だから、お福を利用して排除した。
彼の「お福とて根無し草じゃでの。親戚も頼みの家臣もない。連れ子をかかえて、さきざきのことをおもうと、夜もおちおち眠れぬのじゃろう」という発言をした後に、小竜からの報告書を焼き捨てたことがその証左です。

◇閑話として
史実では、お福と嫡男の八郎(後の宇喜多秀家)を病床で、稀代の人たらしの秀吉に託して亡くなるのです。秀家は秀吉の幼女の豪姫(前田利家の娘)と結婚を許され、豊臣一族として遇されます。そこでは、彼の先見が生きたといえるのでしょう。
ただし、晩年の秀吉の実子の秀頼かわいさのあまりの、甥たちへの惨い仕打ちが、関ヶ原の敗北、豊臣氏の滅亡につながったことを考えれば秀吉も孤独に(豊臣秀次の一族虐殺、小早川秀秋の理不尽な?所領没収、豊臣秀長家の取りつぶしetc・・・)
そして、最後には「秀頼を頼み申し候」と涙ながらに家康に頼みながら、役にも立たない誓紙を部下に書いてもらい、惨めに死んで行くのです。
結局、戦国一の人たらしの秀吉も孤独からは逃れられず死んで行くのです。そこに、歴史の精妙な皮肉を感じるのは私だけでしょうか?








タグ:信長の野望
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

信長の野望と小説(3) [歴史小説とゲーム]

こんばんは。
今日は(?)前回に引き続き火坂雅志さんの作品からお薦めを紹介します。
近年、評価が上がっている武将の藤堂高虎が主人公の「虎の城」です。
最初は、武勇一辺倒だった高虎が豊臣秀長や徳川家康あるいは穴太衆と出会い成長してゆく姿にはカタルシスを感じる方も多いのではないでしょうか?
最終的には家康に「先手は井伊と藤堂を」と遺言されるぐらい信頼される実力者になるわけですが、決して平坦な人生を歩んでいるわけではありません。
また、世間一般の変節や風見鶏のイメージではありません。
この物語には、悩み苦しむ中で築城や政謀に才を発揮し、「人生≒城を立てる」高虎がそこにいます。
前回の伊達政宗も同様ですが、彼らは単に運に恵まれ、茫洋に生きて来たわけではありません。
政宗は、傾いた生きざまと教養で、高虎は築城に代表される建築で自分をもがきながら表現していたのではないでしょうか?

追記:幕末の藤堂藩の朝廷方への寝返りに、「その行い、藩祖(高虎)に似たり」と幕末の他藩士が批判したのには納得できません。なぜ、200年前の人物になぞらえて批判するのでしょうか?裏側には自藩の負い目をどこかに転嫁したいだけなのに・・・と思えてならないのです。そもそも200年前の人を理不尽になじる奴とは、私は友達になりたくありません(苦笑)。











タグ:火坂雅志
nice!(0)  コメント(0) 

信長の野望と小説(2) [歴史小説とゲーム]

誰にでも理不尽さに泣けてくる日もあります。
そんな時に元気をくれるのは自分の場合、歴史小説だったりします。
自分が火坂雅志さんの小説に魅力的に感じる一つもまさにここなのです。
では、そんな時にお薦めの小説を一つ。
一つ目は、地元仙台の英雄、伊達政宗(生誕450年祭を仙台等を中心に実施中)が主人公の「臥龍の天」です。世間的なイメージと違い、伊達政宗は軍神や赤鬼と言われるような
戦の天才ではありません。また、武蔵のような武術の達人ではありません。
では、彼の魅力は何でしょうか?
それは、一言で言っていまえば、どんな時も結局「陽気さ」を失わないことです。
新田の開発を中心とした国富の充実、「伊達者」、「傾奇者」といわれる対外的な自己アピール。
また、食いしん坊の著者も食べてみたい料理の研究等の趣味の充実でしょう。
彼は、どんなに時、思惑がうまくいかなくても精一杯生きました。それは遥かに尊いのです。
その眩しさに、今なお我々は照らされているのです。
ちなみに、伊達政宗の信長の野望大志での志特性は「登り竜」です。
ー奥州より天下へ、竜はどこまでも昇り続けるー






















タグ:伊達政宗
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

信長の野望と小説(1) [歴史小説とゲーム]

私の歴史小説家でもう一人紹介します。
火坂雅志さんです。
大河ドラマになった「天地人(主人公 直江兼続)」の原作者としても有名ですね。
宮城谷昌光さんの小説のテーマが志ならば、火坂さんの小説のテーマは、理想と静寂でしょうか?ただ、女性の描写がどの小説でも似ているのが惜しい点です。(薄幸、勝気、逞しい男に惚れる女)
私のおすすめを2つ豊臣秀吉の政治的・外交的ブレーンの施薬院全宗が主人公の「全宗」
と、信長の野望大志にも固有の志「上州の黄班」で登場する長野 業正が主人公の「業正駆ける」です。
それでは、また。















タグ:火坂雅志
nice!(0)  コメント(0) 

宮城谷昌光の小説と信長の野望 [歴史小説とゲーム]

突然ですが、このごろの信長の野望(特に太志)や三国志がどんどん宮城谷昌光先生のテーマに近づいている気がするんです。ずばり、宮城谷先生の小説のテーマは「志」です。それは、管仲よりも子産、信陵君よりも孟嘗君を焦点にしていることからもわかる気がするんです。
三国志13でいうところの「絆」や信長の野望太志の「志システム」とかですね。

個人的に宮城谷先生のおすすめの小説は「孟夏の太陽」と「子産」です。
皆さんはどうですか?



















タグ:宮城谷昌光
nice!(0)  コメント(0) 

Blog始めました [歴史小説とゲーム]

初めまして。Blog始めました。
仙台に住んでいる独男です。
趣味についてちょこちょこ書いていきます。
KOEIの「信長の野望 大志」が思ったよりも面白そうで買いかもです。
このシリーズはPKという改善パックをだしていましたが、内政の概念が斬新です。
商圏という概念や草刈りや種まき等の歴史好きには香ばしいWord続出です。
ただし、家臣playや軍団が無いようです。(PK用のバッファー?)








nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム
- | 次の10件 歴史小説とゲーム ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。